15:00~16:30特別ゲストとして韓国のHo-sonさんを迎え1時間半エスペラントでおしゃべり楽しみました。エスペラント界で長く活発に活動しているHo-sonさん。こちらのメンバーも40年来の知り合い・2019年のさいたま市で開催された日本エスペラント大会の時で知った人・今回初めて話をする人と様々でした。それぞれの近況報告や思い出の話・韓日共同開催の来年のエスペラント大会・韓国内での交通事情など話しました。
Jaro: 2023
参加者6人 前半のエスペラントでおしゃべり。日記や短歌、国宝の曜変天目茶碗、インドの正式名称・バーラト等。 後半はKatrina malfruas 最終章20章を読みました。次回からClaude Pironの”Vere aŭ fantazie”を読みます。
参加者7人 前半のエスペラントでおしゃべりは 「人間ドック」「関東大震災」「Joĉjoとおしゃべり会」「ピューマのメッシ」「映画ヒロシマ」「コロナ」など。 後半はKatrina malfruas 19章を読みました。
参加者8人 前半のエスペラントでおしゃべりは「UKと観光中に見た日本の漫画」「花火大会」「弱虫ペダル」「youtubeで見つけたエスペラントに関する動画【100万人が使用】世界最高の人工言語『エスペラント語』とは…ネイティブに4週間でなれる。その実態【漫画/アニメ/マンガ/白石】 – YouTube」「蕨駅130年」「海外エスペランティストとの交流」「ILEI大会でVerda Majoの講演56-a ILEI-Kongreso: “Verda Majo: japana esperantistino, kontraŭmilita aktivistino” (Tieko Isikawa) – YouTube」など。 後半はKatrina malfruas 18章を読みました。Nenio fareblas.は覚えておきたい。 入門講座や新会員獲得の話が盛り上がり購読の時間が30分になってしまったのですが、1章読み終えました。
長いエスぺランティスト人生のあれやこれや その5
VERDA GEMO 2023 somero n-ro 5 その1 その2 その3 その4 その5 その6 Sanjo 1980年代後半は、外国からのエスぺランティストがたくさん我が家にやってきた。子どもたちはまだ小さくて、お客が外国人だろうが日本人だろうが気にしなかった。ちょっとしたあいさつくらいはエスペラントで言ったかもしれない。 エスペラントの世界大会(UK)には、Infana Kongreseto「子ども大会」と呼ばれる行事がある。親たちが世界大会に参加している間、こどもたちは別の場所で1週間、親と離れて過ごす。1989年、イギリスのブライトンで世界大会があったとき、無謀にもInfana Kongresetoに申し込んだ。ふたり一緒だし、どうにかなるだろうと簡単に考えていた。結局、この年の初めに私の父の具合がかなり悪くなり、イギリス行きはキャンセルせざるを得なくなった。ほとんどエスペラントがわからない7歳と5歳のこどもたちを参加させるなど、現在ならとても考えられないし、受け入れる側も困っただろう。父はその年の暮れに亡くなった。 その間も外国人エスぺランティストの受入れは続けていた。その中に、フィンランド人のペッカさんがいた。彼はわたしたちにぜひフィンランドにいらっしゃい、と言ってくれたので、1991年夏にタンペレの彼の家を家族みんなで訪ねた。エスペラントを使っての初めての海外旅行だった。フィンランド第2の都市であるタンペレでは、1995年にUKが開催されたのだが、エスペラント活動は活発だったようだ。5,6日お世話になって、あちこち連れて行っていただいたのだが、本物のサウナ、ムーミン谷博物館など、楽しかった。この頃、ケータイ電話が非常に普及してきて、ノキアの製品もけっこう目にする機会も多かったのだが、タンペレで遠目にノキアの工場を目にして、さすがと感心したものだ。 タンペレの後、ヘルシンキではたまたま転勤でそこに住んでいた娘のクラスメートのご家族の家にお世話になったのだが、ヘルシンキの町を歩いていて、偶然緑の★のバッジをつけた人とすれ違い、思わず声をかけた。その人は、ノルウェーのベルゲンでのUKに行く途中にヘルシンキに立ち寄ったそうだが、ちょっと驚いた。フィンランドからさらにロンドンへ行ったのだが、そこではエスペラントとは縁のない1週間を過ごした。今思うと残念ではあるが。 この年、1991年というのは、ソ連邦が崩壊した歴史的な年である。私たちの飛行機は、モスクワ乗り換えのヘルシンキ行きだったが、モスクワで1泊しなければならなかった。この便には、偶然にもベルゲンのUKに向かう埼玉の小林歌子さんが乗っていた。彼女は当時すでに定年退職していたはずだが、ひとりで行動する、自立したエスぺランティストだった。ソ連の悪口を言うつもりはないが、ホテルはひどかった。空港も。ソ連国内の政治状況はガタガタしていて、わたしたちがモスクワ経由で帰国してから間もなくして、ゴルバチョフ大統領が打倒され、その年末にはソ連邦は解体された。わたしたちの帰国がもう少し遅かったら、トラブルに巻き込まれたかもしれないと思うと、今さらながらラッキーだったと思う。小さな子ども連れでは、何をするにも大変な上に、モスクワに知っているエスぺランティストはいなかった。街中で偶然にエスぺランティストに出会うということだってそうあることではないが、この旅では2度あったことになる。 ホテルも空港も酷い状態ではあったが、モスクワでの唯一のいい思い出は、朝の食堂で食べたゆで卵。サイコーにおいしかった!前日夕から何も食べていなかったからだと思うが、今でも家族全員がこの件では意見が一致している。 (続く)
挨 拶 考
VERDA GEMO 2023 somero n-ro 5 石川尚志 若い頃北欧系の会社に勤めていて、そこには何人かのスウェーデン人がいた。普段は仕事上の接触ばかりだが、時には社内のパーティーなどで仕事を離れた話をすることがあった。あるとき日本に長く住んでいる技術系のG氏が、そういう席で私に問いかけてきた。 日本語の「さようなら」という挨拶は実際どういう意味か知っているかというのだ。私は「左様ならば、これにてお別れします」とか「左様しからば、これにて御免」の後半が省略されたものだ、と答えた。会話は英語だったから“If so, I will leave.”の略と答えたのだ。G氏はにやりと笑って「よく知っているな。自分が聞いた日本人の多くは答えられなかったぞ」と言った。 最近そのことを思い出して、改めていろいろな言語の挨拶について考えてみた。挨拶というものはどの言語でも短く、大体は何かが省略されている。省略できるのは、互いになにが省略されているかわかっているからだ。その省略の仕方が言語によってどう違うか、どんな特徴があるか、考えた。 まず身近な英語だ。Goodbye (Goodby)は、God be with you(ye).の短縮形だが、その後ろのtill we meet againが略されているという。讃美歌に“God be with you till we meet again.”とあり和訳では「また会う日まで、かみのまもり汝が身を離れざれ」となっている。さらに言えば、冒頭のI wishも省略されているので、真ん中だけが表現されている形である。 では、我らのエスペラントはどうか。別れの挨拶の定番は、“Ĝis revido!”である。まさにtill we meet againである。また会う日までどうしろというのか。キリスト者ならDio estu kun vi かもしれないし、無神論者ならFartu bone!でもいいだろう。仏語のAu revoir!も独語のAuf Wiedersehen!も同じだろう。 「今日は」、「今晩は」は「良い天気ですね…」などが略されていると考えられ「おはよう」は「朝早くから精が出ますね」とか「お互いに早いですね」などが背景にある。一方で、エス語は“Bonan tagon”、“Bonan nokton”のように目的格なので”Havu bonan tagon.”とか”Mi esperas al vi bonan nokton”のように他動詞が隠れている。英語のGood morninigは格が判らないが独語ではGuten morgenのように目的格なので同じと考えてよいだろう。 以上を一般化して考察すると、日本語でも外国語でもます、相手方に対して「事態、状況の確認、共有」の呼びかけがあり、それを踏まえて話者の「意志、希望」を述べるのだが、どちらかが略される。「左様なら」「こんにちは」「おはよう」は典型的に状況の確認であって、その後の「帰る」、「元気でいて」などは省略されるというより、もはや意識されないのだ。ところが英語では、状況は後景に退き、話者の相手に対する意思、希望がGod […]
Protektita: 会報の目次ページの作り方
Mankas resumo, ĉar tiu ĉi afiŝo estas pasvorte protektita.
参加者8人前半のエスペラントでおしゃべりは7月1日2日に行った八ヶ岳合宿の感想など。 後半はKatrina malfruas17章を読みました。elpoŝigiのようなはエスペラントらしい表現で自分でもすぐ言えるようにしたいです。また、de+場所や時間の副詞、de longe / de alilande /de la sesa matene / de morgaŭ / de dujarojなど辞書で確認しました。
Kiu estas dio de malvenko? (2/2)
VERDA GEMO 2023 somero n-ro 5 Tutamo Antaŭa rakonto (1/2) 【要約(Resumo en la japana)】私は家族からの疫病神のレッテルを消すことができるのか? En la 13a de julio, mi iris spekti basbalan matĉon inter Carp kaj Giants en Tokyo Dome kun mia edzino kaj mia filino. En la lasta surloka spektado kun kvar miaj familianoj en la ora semajno, nia favorata teamo Carp malvenkis. […]
Kiu estas dio de malvenko? (1/2)
VERDA GEMO 2023 somero n-ro 5 Tutamo 【要約(Resumo en la japana)】ここ数年家族で野球観戦にいくといつも負け試合。一体誰が疫病神なのか? En Japanio, oni nomas sinsekvajn feriojn de la fino de aprilo ĝis la komenco de majo ora semajno. Mi iris al Tokyo Dome por spekti basbalan matĉon en la unua tago de ora semajno kun mia familio. Tokyo Dome estas grandega basbalejo kun tegmento […]