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somero 2024 会報

Horora rakonto:Loka Rondo

VERDA GEMO   2024 somero n-ro 9 Jokano 要約(Resumo en la japana):「怖い話」を書いてみました。あまり怖くないですが。 Mi translokiĝis en malgrandan urbon. Mi sciis, ke en la pli granda urbo proksima ekzistas Esperanto-rondo, tamen pri tiu en mia nova urbo mi nenion aŭdis. Sed mi provis gugli per la vorto “esperanto-rondo” kaj la nomo de la urbo. Informo pri Esperanto-rondo en […]

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2024年 活動

総会・学習会 2024/7/13

参加者は少なめで3人でした。最初に2024年夏の総会で半年の活動を振り返り、後半は人数が少なかった分、お喋りを楽しみました。テーマは「エスペラントの語学学習効果」「カリヨン」「初級講座」など。

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2024年 活動

学習会 2024/6/22

参加者7人。前半、エスペラント会話はまず天気の話で始まり、「コロナの後の困りごと」「ルイズでエスペラント歌声喫茶」「鞆の浦 対潮楼で」「公共物と犬の糞」「引っ越し」「ジャカランダ」 後半は”Ĉu vi parolas esperante”をLa 7a lecionoのを読み終えました。kialの代わりにkiuceleがすっと出たら上級です。おいしいラーメンを食べた後、SNSに写真を付けて投稿するなら”、bongusta!”と”bonguste!”どっちにする?形容詞か副詞かは永遠のテーマ。

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2024年 活動

板橋・埼玉交流会 2024/5/25

初めての試みとして板橋エスペラントクラブとの交流会を行いました。板橋エスペラントクラブには4月に埼玉の会員が例会の会場にお邪魔したので、今回は私たちが普段使っているZOOMに板橋のメンバーをお招きましました。参加者は埼玉側6人、板橋側8人計14人。 それぞれの会の紹介し、エスペラントで参加者全員が自己紹介と質問。その後「何でも知つてるガイドさん」 “Ĉioscia Ĉicerono”というゲームで遊びました。絵を見ながら一人がガイドとしてその場所をガイドとして説明し、他の人の質問に答えます。板橋の方が準備した不思議な観光地の絵が秀逸でとても楽しめました。AIで作成した画像だそうです。以前はこのような語学学習のために画像を用意するのがとても大変だったのですが、AIにおかげで素材を準備しやすくなったのかもしれません。とは言っても画像を作る人のセンスが問われます。今回の画像は最高のセンスで、会話が弾み笑いが絶えませんでした。 今後も他の地方会やグループから新しい刺激を受けたいと思いました。

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2024年 活動

学習会 2024/5/11

参加者6人 前半はエスペラントでおしゃべり。飲食店でのタッチパネルでの注文やイースターの甘いケーキなど、それぞれのGWの出来事についておしゃべりを楽しみました。他に従属接続詞keの使い方を確認しました。 後半は”Ĉu vi parolas esperante”をLa 5a lecionoまで読みました。

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2024年 活動

学習会 2024/4/27

参加者6人 うれしいことに見学者の方が参加したので、ゆっくりめに自己紹介。Duolingoで半年勉強しただけだそうですが、質問したり答えたり、かなり会話もできました。長くエスペラント界に漬かってしまった私たちにとって、新しい人との会話は、エスペラントの面白さや、独自性、外の人がどう思うかを再考する機会になりました。 後半は”Ĉu vi parolas esperante”をLa 3a lecionoまで読みました。

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aŭtuno 2023 kovrilo 会報

2024 printempo n-ro 8

VERDA GEMO

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printempo 2024 あれやこれや 会報

長いエスぺランティスト人生のあれやこれや その7

VERDA GEMO   2024 printempo n-ro 8 その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9 Sanjo  子育てのために志木市に転居した後は、専業主婦の生活を送っていた。エスペラント活動は、先述したように、海外からのエスぺランティストの受入れをときどきするくらいで、JEIの機関誌La Revuo Orientaさえあまり読めなかった。が、こどもたちが小学生になり、何か地元でやりたいと思い、学校のPTA役員や生協活動などを始めた。元々活動的なことが好きだったこともあり、けっこう忙しい生活を送っていた。  そんな1993年頃、私宅でエスペラントをやっていたKさんから、英語を教えてみたら、というお誘いがあった。彼女は自宅で英数塾をやっており、生徒の一部を私に回してくれるというのだ。数学はまるでダメの私だが、英語ならどうにかできるだろう、ということで自宅で英語塾を始めた。幸いに生徒はどんどん増えて、日曜以外のほぼ毎晩、中・高校生に英語を教えた。私の娘と息子もクラスに入れ、数学は件のKさんに教えていただいたので、わが子たちは民間の進学塾にはお世話にならずに済んだ。英語塾は2011年で閉じた。  この間、中学生や高校生にエスペラントのことを話す機会が少しはあったし、海外のエスぺランティストにクラスに参加してもらったことも多少はあったが、わが子の中からも生徒たちの中からもエスペラントをやりたいというこどもは出てこなかった。とても残念なことではある。この時期、学校給食、リサイクル、環境問題などに取り組む市民グループを立ち上げ、その会の名前をラ・ボーロ(La Volo)とつけた。その名前の由来を人に語るときには、必ずエスペラントに触れたので、少しは宣伝になったかな?  2000年になって、ようやくエスペラント活動に復帰した。最初は、教職員エスペラント協議会 Asocio de Lernejaj Esperantistoj (ALE)というグループに入れてもらった。教員ではなかったが、塾をやっていたということで、仲間にしていただいた。当時はJEI会員の中に学校教員の方がけっこうたくさんいた。1998年、「総合的な学習の時間」が日本中の小・中学校の教育課程に創設され、いわゆる「出前授業」が可能になったことから、ALEではこの機会を積極的に活用した活動を行っていた。ALEの会員以外にも、全国でエスぺランティストが地元の学校に働きかけて、エスペラントについての出前授業を行っていた。私は鳩山町の鳩山中学校へ、地元のエスぺランティストWさんと一緒に2回出かけた。1回が2時限程度の授業で、エスペラントがどんなものか生徒たちに紹介するのだが、生徒たちの興味と感心を少しでも引くべく、プレゼンをした。しかし、1回の出前授業がその後に結びつくことはなかった。全国どこでもそうであったろうと思う。  エスペラントの側は、エスペラントのいわゆるpropedeŭtika valoro 「予備教育的価値」、つまりエスペラントを知っていると他言語の習得が速いという利点、を言うが、残念ながら日本においては実践例がなく、証明のしようがない。さらに、エスペラントを1回限りではない、通年の授業として行いたいという申し出が万一あったとしても、それに応え得る教材もカリキュラムもない。ALEの活動では、そこまでやる力もなかった。そして、日本の学校システムの中には、エスペラントを導入する可能性もまるでなかった。                                       (続く)

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printempo 2024 会報

Ĉu mi verkas rakonton? (1)

VERDA GEMO   2024 printempo n-ro 8 Tutamo 要約(Resumo en la japana):お話を書いてみたいと思っていたらアシスタントさんがアイデアを3つ出してくれました。 Lastatempe mi havas deziron verki amuzajn rakontojn, precipe en Esperanto. La kialo estas nebula, tamen verkistoj, kiuj produktas interesajn verkojn, estas tre mojosaj. Ĉar mi ŝatas skribi en Esperanto, mi volas verki ion, kio estas amuza por mi kaj amuziga por legontoj. Antaŭ verkado […]

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printempo 2024 会報

Sciu lepron en Tama Zenŝoen

VERDA GEMO   2024 printempo n-ro 8 Jokano 要約(Resumo en la japana):東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館と多磨全生園に行ってきました。ハンセン病とエスペラントについては、後藤斉先生がこちらに詳しく書いています。 Lerpo en literaturo Antaŭ kelkaj jaroj mi legis la polan novelon “Fundo de l’ Mizero” esperantigitan de Kazimierz Bein (Kabe). Rakonto pri lepruloj, kiuj estis forlasitaj en senhoma loko en Siberio, tamen forte vivis per si mem. Mi interesite kaj kortuŝite legis ĝin, sed […]