vorto 意味 意味続き aĉet/i [他]買う 購入する;=subaĉeti(買収する) adres/o 住所 あて名;【情】アドレス(メモリの番地) aer/o 空気 外気,大気;空,空中 afer/o 物事(ものごと) 事,事柄,事項;用件,用事,問題;事件,出来事;事業,業務;【法】訴訟事件;【商】取引 Afrik/o 【地名】アフリカ ag/i [自]行動する ふるまう;【理】作用する agrabl/a 快い 心地よい,気持ちのよい aĝ/o 年齢 歳 akcept/i [他]受入れる 受理する;迎え入れる;容認する akv/o 水 al [前]~へ ali/a ほかの 別の,その他の;もう一つの alt/a 高い 高貴な,高級な amas/o 集積 大量,群れ;大衆,群衆 ambaŭ [形]両方の 双方の am/i [他]愛する 好きである amik/o 友達 味方 angl/a イギリス(人)の (la ~)英語の […]
Kategorio: 会報
JEIエスペラント学力検定試験3級単語リスト
vorto 意味 意味続き abon/i [他](一定期間・継続的に)予約する 購読する afabl/a 愛想のよい 親切な;ものやわらかな,ていねいな;【情】使いやすい,ユーザーフレンドリーな ajn [副]~であっても(無差別を示す) akcident/o 事故 災難;偶然の出来事 akr/a 鋭い aktiv/a 活動的な 活発な,積極的な;活動中の,現役の;【G】能動の almenaŭ [副]少なくとも amuz/i [他]楽しませる angul/o 角(かど) すみ;【数】角(かく) anim/o 魂 心;生気;【宗】霊 anonc/i [他]予告する 公告する anstataŭ [接]~する代わりに aparat/o 装置 機械一式;【解】器官;【政】機関;【情】装置,デバイス apart/a 別の 別々の;特別の aparten/i [自](~ al)~のものである ~に所属する apenaŭ [接]~するや否や aranĝ/i [他]整える 整頓する;手配する;【楽】編曲する;【劇】脚色する artikol/o 記事 条項;【法】(法令の)条 asoci/o 協会 結社;結合,連合 […]
エスペラント、日本語、そして… ―その3―
VERDA GEMO 2023 printempo n-ro 3 その1 その2 その3 石川尚志 前号では、PAGなどの中動態に対する定義が混迷している背景に特定の言語観、S-Vのドグマがあると指摘した。S-Vのドグマとは何かを見てゆこう。日本語で一番短い会話として取り上げられる例で、青森地方で話される会話がある。路で行き合った知人同士の会話である。 A:どさ? - Kien? B:えさ。/ゆさ。- Hejmen /Banejon.これで十分意思疎通ができている。対応するE-oも過不足ないではないか。別に主語や動詞が省略されていると考えなくてもよい。会話が短い理由として、吹雪の中などで、口を開いてお喋りしてると雪が入ってくるので、それを避けるため会話が最小限になる、などという説明もあるらしい。言語学者によれば古い印欧語(ギリシャ語、サンスクリットなど)には、日本語も同様だが、動詞の活用もなく、主語などもなかった。主語、述語、目的語などに関する基本的考え方は、12~13世紀に形成されたという。西暦1100年以前の古英語には主語はなかったが、現代の英語では必ず主語が必要とされIt rains.、It seems to me. のように形式主語(dummy subject、金谷氏によれば馬鹿主語)を持ってこなければならない。 主語が必須とされる言語は、一説によれば、英、仏、独、ロマンシュ語(スイス)、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語のみで、その他ユーラシア、アメリカ、オセアニアを問わず圧倒的多数の言語は必ずしも主語を必要としないという。もちろんエスペラントでも主語は必須ではない。だから主語を必要とするほんの一握りの言語を標準にして普遍的文法を構築するなどというのは、おかしいという気がしてならない。金谷氏が中動態の本質の探究にあたっては、欧米の言語学者、A.メイエ、O.イェスペルセン、E.バンヴェニストや日本の文法学者、細江逸記の所説を検討している。彼が評価するE.バンヴェニストは、古典ギリシャ語とサンスクリットには受動相(態)はまだなく、能動相(態)と中動相(態)が対立していたとし、能動相を外相、中動相を内相と呼ぶ。能動態の動詞は、その行為が主語に発して他に向かう。中動態の動詞では、行為、状態は主語から他に向かわない。行為、状態の内部に主語がある。彼は、能動態と中動態を、動詞が外で働くか、内で働くかで区別したことは画期的であるが、まだ主語にこだわっていて、中動態動詞を主語と結びつけてしまった。一方、日本の文法学者細江逸記は、バンヴェニストより40年近く前の1928年に、印欧語には本来「受身、受動相」はなく、あったのは能動相と中動相の対立であり、中動相は日本語の助動詞「る・らる」と基本的に同じで、反照(再帰)、受動、自動の機能を持つ、と主張した。さらに「自然の勢い」が中動態の意味の根底にあるとする。 金谷氏はこれらの所説、とくにバンヴェニストと細江をベースに古典語には主語がなかったという事実を重ねて、先に紹介した、中動態は「印欧語における無主語文で、機能は「行為者の不在、自然の勢いの表現」としたのである。 ここで中動態の特色を視覚的に分かりやすくするために他の態や紛らわしい再帰形との比較を図示してみた。矢印は動作、力の方向を表す。中動態で主語と動詞が同一線上にないのは、主語は状況の変化が起こる場所を示すのみであり、動詞の主語ではない、つまりS-Vではないことを示している。「行為者の不在、自然の勢いの表現」がうまくイメージ化されているか、自信はない。 ― 完 ―
Mi denove renkontis Mozin per Esperanto
VERDA GEMO 2023 printempo n-ro 3 Jokano 昨年の世界一斉読書で取り上げられた魯迅の『非攻』は、昔好きだった墨子に再び触れるきっかけとなりました。墨子の思想を自分なりにまとめてみました。 Lastjare okaze de la Zamenhof-tago “Antimilitisto” (非攻) origine verkita de Lu Sin (魯迅) estis proponita, kiel unu el la du libroj por komuna legado. Ĝi estas verkita surbaze de la libro Mozi (Mozio 墨子), kiu konsistas el epizodoj de la antikva ĉina filozofo Mozi (470 a.K – […]
2023 vintro n-ro 3
VERDA GEMO
2022 aŭtuno n-ro 2
VERDA GEMO
Fumi ĝis la fino
VERDA GEMO 2022 aŭtuno n-ro 2 Jokano コンビニで見た出来事を書きました。 En oportuna butiko mi alviciĝis por pagi. Antaŭ mi troviĝas maljunulo. Li estas tre kaduka kaj apenaŭ staras apogante sin al muro per la mano. La vico moviĝis kaj li iras al la loko apud multaj hokoj pendigantaj pakaĵetojn de gumiaj bombonoj. Li provis preni hokon per […]
Mia vivo kun miaj dorlotbestoj (2/2)
VERDA GEMO 2022 aŭtuno n-ro 2 1/2 verkita de Tutamo 要約(Resumo en la japana lingvo):柴犬と2匹のネコとの生活について語るエッセイの後編。ネコはおやつのねだり方もシャワーの浴び方もイヌと対照的なのだが彼らは毎日仲良く暮らしている。イヌとネコ、どちらが好きかと問われたらそれは…。 Du katoj, Koume kaj Sasuke, pasigas tuttagan tempon en domo. Dum plimulte da tempo, precipe tage, ili dormas. Ĉar ili manĝas kun Ĵiro samtempe, ili atendas lian revenon de promenado. Rimarkinte lin ili direktiĝas al la pordo rekte kaj atendas […]
長いエスぺランティスト人生のあれやこれや その2
VERDA GEMO 2022 aŭtuno n-ro 2 その1 その2 その3 その4 その5 その6 Sanjo 短大時代に始めたエスペラントの学習は、社会人になって一旦途切れることになった。いろいろ事情があって、卒業後は福島で働こうと実家に戻ったため、エスペラントを続ける環境が残念ながらなかった。それでも、仙台エスペラント会に連絡をして、行ってみようかと思ったこともあったが、田舎の交通事情は悪く、少ない本数の列車(!)で往復3時間以上かけて出かける勇気はわかなかった。 その年の夏、上京して就職。当時は一流企業も中途採用が盛んで、職探しには困らなかった。私が就職したのは、東証一部上場(今では懐かしい名称になってしまったが)のけっこう有名な企業で、勤務地は銀座6丁目並木通りの支社!いわゆる「花のOL時代」(このことばも最早死語ではあるが)を約2年間人並みに満喫して、エスペラントはほとんど私の生活から消えていた。とはいえ、エスぺランティストの友人とは親しくしていて、この後の私の人生計画を立てるに際して、エスペラントと直接の関連はないが、大きなヒントを与えてもらった。その友人は、仕事で3年間ロンドンに駐在していて、私が英語をもっと勉強するために渡英したいという希望を持っていることを知っていた。そこで、現地で得た情報を私に伝えてくれたのだ。 英語の勉強に海外に行く、というと、現在では大学等への留学が普通だが、イギリスには世界中から英語を勉強したい若い、特に女性が選択できるシステムとして、オーペア制度というのがあった。今もあるらしいが、最近はワーキングホリデービザを利用したりするらしい。1970年代には、日本からもけっこうな数の女性がオーペアとして渡英していた。私は会社勤めをして貯金も少しあったので、すぐに決断した。幸いに友人がロンドンのイギリス人家庭を紹介してくれたので、事前に手紙のやりとりをして、いざ出発!とりあえず観光ビザで行ったが、空港の入管で私の受け入れ家庭の手紙を見せると、その場で1年有効のビザをもらえた。1974年11月のこと。 私を受け入れてくれたDavenport家には、3歳と6か月の赤ちゃんがいた。おまけに大きな、黒のラブラドールも。私の英語は、会社勤めでは使っていなかったので、渡英前に学習し直した程度だったが、どうにか日常生活は送れた。できるだけしゃべって、その家の主人が夕方持ち帰る新聞をいただいて読んだり、時には議論したり。当時は、イギリスは北アイルランドで対英テロ闘争を行っていたIRAのテロ事件が頻繁に起きており、私もロンドン中心部へ出かけて、交通規制にあったこともあった。オーペアというのは、受け入れ家庭にもよるが、こどものお世話をしたり、家事を少しやることで少額ではあるが報酬がもらえる。時間をやりくりして、英語学校にも通うことができ、ドイツ、スペイン、スイスなどから来ていたオーペアの人たちと友達にもなった。滞在中に、イギリス各地にも連れていってもらった。エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台になったヨークシャーの荒野は印象に残っている。 1年間だから、けっこういろいろな経験ができたし、とても充実した時期であったが、今残念に思っているのは、この間エスペラントとは全く関係がなかったこと。一度、ロンドンのエスペラントクラブを訪ねようかと思ったことがあったが、しなかった。イギリスには英語を勉強しに来たのだから、英語に集中しようと考えたわけだが・・・ もし、あのときエスペラントもやっていたら、私の人生は別のものになったかもしれない、と夢想することはある。ただ、英語が自由に使える状態で、各国から来た人々とも英語で話すことができる状態だったため、それ以上の共通語を必要としなかったのだろう。今となれば、もったいなかったなと後悔している。1975年11月の帰国後、仕事に英語を使うことが多くなったが、それでもエスペラントをすっかり止めたわけではなかった。 (続く)
エスペラント、日本語、そして…… -その2-
VERDA GEMO 2022 aŭtuno n-ro 2 その1 その2 その3 石川尚志 前号で、中動態の文は「主語の行為」を表すのではなく、「主語に生じた事態、状態の変化」を表すのであって、文法上の主語は、出来事が起こる場所を示すのみ、と書いた。中動態の本質についての議論は、言語学者、金谷武洋氏に依拠している。氏の『日本語と西欧語』(講談社学術文庫)p.227に「印欧古語には、行為者を全面に打ち出す能動相と対立する文法カテゴリーとして中動相があった。その機能は行為者の不在、自然の勢いの表現」とあり、中動相は「印欧語における無主語文」ともいう。私は、金谷氏の定義を古語だけでなく現代語にも適用するため、「自然の勢い」に加えて「第三者の行為」を加え、「行為者の不在、第三者の行為を含む自然の勢いの表現」としたい。 金谷氏はカナダで言語学を研究し日本語を教える過程で、日本語に主語はいらない、と主張する三上章の文法の合理性・有用性に気づいた。そして、主語の不在という現象は日本語に特有なものではなく、サンスクリット、古典ギリシャ語のような古典語でも、中世英語などもそうだったと論じている。氏はそこから出発して、文法学者の間で議論の決着がついていない中動相(中動態)の問題を、バンヴェニスト、ギョーム、細江逸記等の議論を批判的に検討して解決を導いた。このように私は理解しているが、三上文法自体、日本の国語学者の多数に受け入れられてはいないし、金谷氏の中動態論も言語学者には評価されていないように見える。また、金谷氏はエスペラント(E-o)にはまったく言及していないので、中動態とE-oの関係は、まったく私の創見(aŭ非創見aŭ皮相見?)になる。 日本語における主語の問題について、中動態から話がそれるが触れておきたい。上司が部下に「この仕事、やってくれないか?」と頼んだとする。肯定的な答えとして、「やります」「私がやります」「私はやります」という三つの答えがありうる。意味は微妙に違う。「やります」には特別な含みはないが、「私はやります」というと、「他の人はどうであれ私はやる」という意味だし、「私がやります」だと「他の人を差し置いても自分がやりたい」というニュアンスである。それぞれ意味は違い、代替性はなく、「やります」はこれで完全な文であり、後二者の省略形ということはない。また、助詞の「は」「が」は主格を示すとは限らない。例えば、「子供は寝かせたか?」「学校は行った?」「ラーメンが食いたい」などを考えれば分かるように、「子供」「学校」「ラーメン」は目的であり、ここでの「は」「が」は主題を示している。 国語文法が明治以来、英語文法(近代印欧語文法)の影響を受けて、主語必要論が主流となっているようだ。また後に見るように、西欧人のE-o文法家たちは、主語の存在を前提としていて、それが中動態の理解の妨げになっていると思われる。 では、具体的にE-o文法のなかで中動態がどのように扱われているかを見てみよう。K.Kalocsay-G.Waringhienによる文法書、Plena Analiza Gramatiko de Esperanto (PAG)が、中動態についても最も体系的、詳細に論じている。他の論者はPAGを下敷きにしており、例文も説明もほとんど同じである。PAGは言う。 La mediala voĉo, esprimata per iĝi, unuigas en si propre la aktivon kaj la pasivon: la subjekto estas samtempe ankaŭ la objekto de la ago: ĝi faras la agon pri si mem. PAG, p.166. つまり、中動態は能動態と受動態の合一で、そこでは主語は同時に目的語であり自己に対して行為する、ということである。それでは、前回に見た動詞の再帰形とどう違うのか、ということになる。PAGは再帰形(refleksivo)は、自発的意思による行為であり、中動態の行為は自発的・意識的でない行為であるという(PAG,p.276)。Mi naskiĝis en […]