VERDA GEMO 2024 aŭtuno n-ro 10 JABUKI Cutomu 要約(Resumo en la japana):10/26に秋のイベントとして念願の横浜にあるエスペラント博物館に行ってきました。「エスペラントってどんなものなの?」という方に最適な博物館だと思います。お薦めします。 Ni ekskursis al Jokohamo en la 26a de oktobro kun Esperanto-Klubo en Itabaŝi*1, kiel nia komuna evento, Aŭtuna Ekskurso. Ni jam tvitis ĉi-eventon sur X. Sed, mi restas la memoraĵon ĉi tie.*1 X-konto de Esperanto-Klubo en Itabaŝi En la 23a de aprilo, 2021, […]
Kategorio: 会報
長いエスぺランティスト人生のあれやこれや その9
VERDA GEMO 2024 aŭtuno n-ro 10 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 Sanjo 私が初めて世界エスペラント大会(UK)に参加したのは、1994年の第79回ソウル大会であった。(その6参照)最初のUKとなれば印象も強いはずだが、フルで参加したのではなく、初心者の友人二人と一緒でもあり、番組への参加も限られたため、あまり印象には残っていない。 2004年の第89回北京大会が、私にとって本格的に参加した最初の世界大会といえる。参加者が2000人を超えて、大規模なUKであった。私はまだ世界大会に慣れていなかったので、JEIの旅行団に加わった。通常の大会番組のいくつかに参加したが、ヨーロッパなどからのエスぺランティストが流暢に話すのに刺激されて、私もいつかあんな風に話せるようになりたいと思った。この大会では、現在も交流が続いているスイスのMirejoと初めて会った。恒例のNacia Vesperoは、中国の出し物のスケールが大きくて、すばらしかった。大会中の遠足では、万里の長城や故宮、天安門などの代表的な観光地も楽しんだ。遠足のバスで隣に座ったエスぺランティストと話すのはいつも楽しい。 大会後観光にも参加した。6日間でシルクロード沿いのオアシス都市と新疆ウイグル自治区を巡ったのだが、これが素晴らしかった。敦煌の莫高窟を見学したときは、快晴で涼しい風が吹き、北京の暑さと全く違う気候を実感した。莫高窟の仏教遺跡は見事だったし、トルファン周辺の重要文化遺跡の数々、『西遊記』でも有名な火焔山、天山山脈など名前では知ってはいても、実物を目にする機会はないと思われた遺跡や景色を目にして、とても感激したものだ。トルファン名物の葡萄園で生産者を直に訪ねることもできた。もう一つ驚いたのが、まだ日本では目にすることがほぼなかった風力発電の巨大な風車が、砂漠のような場所に何十も並んで立っていたことである。20年も前にである。 中国の政治状況は、当時とは大きく違ってしまい、現在では外国人が自由に新疆ウイグル自治区を旅行することは難しいようだ。ウイグル人への弾圧や人権侵害もますますひどくなっていると思われる。わたしたちが訪れたときは、ウルムチの街の様子はイスラム文化圏そのもので、バザールやモスクなど多くの人でにぎわっていた。最近では新疆ウイグル地区のニュースを聞くたび、いつも思う。自然的にも歴史文化的にもスケールが大きくて多様な地域を、漢民族主体の中国という、つまらない思想で中国政府が統制を強めていることは嘆かわしいことだと。 ウルムチで理解に苦しんだことは、太陽がまだ高いのに、時間は夜の9時ということ。実際には北京と4、5時間の時差があってしかるべき距離なのに、行政の統一をはかりやすいとか、ビジネス面での利便性が高いという理由で、北京時間と同じ時間が採用されているのだそう。人間の身体は、日の出、日の入りのリズムと連動して活動するのが自然であるのに、これは良くない。非常に違和感を感じた。 一般的な観光旅行でもこういう経験はできるのだろうが、世界の各地から参加したエスぺランティストとあれこれ意見を交わしながら、一緒に驚いたり、地元のお料理を味わったりできるのは世界大会の醍醐味と言えるのではないだろうか。わたしはこの北京大会以降、世界大会とILEI大会へ参加するために、イタリア、オランダ、ベナン、ポーランド、ベトナム、アルゼンチン、ウルグアイ、ハンガリー、韓国などを訪れる機会を得た。一部観光も含まれるが、北京大会のときのような、6日間にわたって特定の地域に行ったということはない。今思うと、非常に貴重な経験をしたと思う。エスペラントをやっていなければ、おそらくはこういう機会はなかっただろう。この時一緒に参加した日本人エスぺランティストのうち、すでに4人が亡くなってしまった。 (続く)
Pri Aojama Akira
VERDA GEMO 2024 aŭtuno n-ro 10 Jokano 要約(Resumo en la japana):2022年のLa Verda Gemo n-ro1にある記事で土木技師青山士を知りました。最近になって自分にとって縁のある人のような気がして伝記を読みました。 Mi eksciis pri AOJAMA Akira (青山士) per ĉi tiu artikolo, kiu prezentas Esperantajn epigrafojn faritajn de li. Sed lia nomo restis en mia kapo nur kiel iama simpatiulo por Esperanto kaj konstrua inĝeniero en malproksima gubernio. Ĉi-somere en la vespero de […]
2024 aŭtuno n-ro 10
VERDA GEMO
La Knabo de la Patrino
VERDA GEMO 2024 somero n-ro 9 Go 要約(Resumo en la japana):フェルナンド・ペソア(Fernando Pessoa、1888—1935)の詩『O Menino da Sua Mãe』をエスペラントに訳してみました。 フェルナンド・ペソアはポルトガルの国民的作家と言われている人物です。 昔、ポルトガル語の詩を集めた詩集を読んだ時、最も印象に残ったのがフェルナンド・ペソアの『O Menino da Sua Mãe』とブラジル人であるヴィニシウス・デ・モラエスの『Rosa de Hiroshima(ヒロシマのバラ)』でした。『Rosa de Hiroshima』は原爆犠牲者のことを思って書かれた詩です。ちなみに、ヴィニシウス・デ・モラエスはボサノヴァの名曲『イパネマの娘』の作詞などで有名な人です。 最近、『O Menino da Sua Mãe』のことを思い出したら頭から離れなくなり、いつもこの詩のことを考えるようになってしまったので、これをエスペラントに訳したらどんなふうになるだろうかと試してみました。 ニュースでは戦死者、犠牲者の人数が伝えられます。それは単なる数字ではなく、その一人一人が誰かの息子であり娘であり、父であり母であり、兄弟姉妹であり、誰かの大切な人であったということを覚えていなくてはいけないと思うのです。 ポルトガル語原詩 (la portugala) 日本語訳 (la japana) P20〜22 La Knabo de la Patrino En la forlasita ebenaĵoKiun la varmeta brizo varmigas,De kugloj traigita—Du, de […]
Post bongusta rameno
VERDA GEMO 2024 somero n-ro 9 Tutamo 要約(Resumo en la japana):ずっと気になっていたお店で美味しいラーメンを食べてきました。そうしたらある出来事があって… Mi parolas detale pri tio, kion mi afiŝis en mia tvitero iam. En iu dimanĉo mi iris al rameno-restoracio kun mia filo. La restoracio situas en la distanco je dekkvin minutoj de nia hejmo kaj interesis nin dum longa tempo. Ĝi havas etoson, kiu […]
長いエスペランティスト人生のあれやこれや その8
VERDA GEMO 2024 somero n-ro 9 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 Sanjo 日本の外国語教育は、ほぼ英語オンリーという状況が長いこと続いている。文部科学省の役人も現場の教員も、そして国民も、みんな英語ができるようになることが外国語教育の目指すべきところと考えているようだ。特に世の中がグローバル化して、英語さえできれば、ということで大学などからもその他の外国語の授業が消える現象まで起きていた時代に、学校現場にエスペラントが入り込む機会はまずなかった。エスペラントの持つ「予備教育的価値」をきちんと評価して、次の外国語(主にヨーロッパ系言語)の学習につなげれば、学習効率が高まることを証明したくても、日本ではその実験さえできる状況にはなかったし、今もない。 そんな状況下の2010年の夏、埼玉大学教育学部付属中学校で正規授業扱いでエスペラントを教えてみないか、という話が佐々木照央さんからあった。佐々木さんの埼玉大学での同僚が、その付属中学で校長先生をしていて、2学期に総合学習の一環としての「国際理解授業」にエスペラントグループを設けることにしたという。金曜日1,2時限で全7回、計700分の授業という。喜んで引き受けることにした。 生徒は2年生30人。実際の授業が始まる前に、ILEI(国際教育者エスぺランティスト連盟)のネットワークを活用して、生徒たちを励ますメッセージを募ったところ、世界各地から20通ものカードや手紙が学校に届いた。中学2年生の英語力が一般的にどの程度か、自分が塾で教えている経験上ある程度わかっていたので、エスペラントの授業も無理をせずに、しかし国際性を感じられるように進めた。途中に一日トライアルデーという日があって、ゲストを招くことができるというので、アレクサンドラさん、サリフ・ザキロフさん、ハルペン・ジャックさんに来校してもらい、さらにスカイプで当時四国に在住していたアティリオさんとも結んで、生徒たちに簡単なエスペラント会話を楽しんでもらった。それまでにたった8時間しか学んでいないエスペラントが通じたことに、生徒たちは喜んでいた。将来、何かのきっかけでこのときのことを思い出し、エスペラントを本格的に学ぶ人が出てくるとうれしい。 このような珍しくも貴重な授業ができたのは、国立大学の付属校だからだろう。その使命と役割として、「実験的・先導的な課題の取り組み」があると言われている上に、校長先生が退職を前にして、最後の企画として教職員にお願いした、と佐々木さんが言っていた。それゆえか、担当の英語教員はあまり協力的ではなかったのが残念だった。上からの押し付けで、自分たちがやりたいことではない、とでも思っていたのかもしれない。英語科の教員でも、エスペラントの存在を知っている割合は多くはない。今では英語教育の開始時期が以前よりずっと早くなって、小学5年生からは英語が正規の教科になったのに、英語の成績は上がっていないという。外国語=英語の意識を変えて、外国語教育の目指すところをきちんと理解した上での外国語教育の在り方を、文部科学省だけでなく、教育現場の方々にも見直しが必要と思う。 2003年にJEIの理事になり、最初から研究教育部の担当となったこともあり、エスペラントをどうやって学校現場に紹介・導入できるか、いつも考えてきた。中国の山西省にある小学校では、10年以上前に数年間、小学校1年から英語の代わりにエスペラントを2年教えて、その後から英語を学び始めた生徒たちの英語力を調べる実験が行われた。結果は、エスペラントを先に学習したグループの英語の成績が上であることとか、社会科など別の教科でも生徒たちの関心が高い、という結果が公表されている。日本でもこういう実験ができたらいいのだが、日本の現行の学校システムでは無理だろう。エスペラントの側でできることは、もしエスペラントが学校の教科になった場言に備えて、教材やカリキュラムの準備をしておくことだろう。そのために、仲間とともに作業を始めようと思っている。 (続く)
2024 somero n-ro 9
VERDA GEMO
Horora rakonto:Loka Rondo
VERDA GEMO 2024 somero n-ro 9 Jokano 要約(Resumo en la japana):「怖い話」を書いてみました。あまり怖くないですが。 Mi translokiĝis en malgrandan urbon. Mi sciis, ke en la pli granda urbo proksima ekzistas Esperanto-rondo, tamen pri tiu en mia nova urbo mi nenion aŭdis. Sed mi provis gugli per la vorto “esperanto-rondo” kaj la nomo de la urbo. Informo pri Esperanto-rondo en […]
2024 printempo n-ro 8
VERDA GEMO